The Six Flags of TEXASが示すテキサスの歴史

The Six Flags of TEXASが示すテキサスの歴史

2020年3月28日 0 投稿者: Soylattes

テキサスは、複雑な独立の経緯を辿ったことから、テキサスの歴史を紐解くとThe six flags of TEXAS(テキサスの6つの国旗)を目にすることがあります。これらの国旗が「テキサスにとっての”国旗”」であった時代がそれぞれあるのですが、中には現在のアメリカ合衆国の国旗や、テキサス州内のいたるところで掲げられているローンスター(一つ★マーク)の国旗も含まれているので、あとは残り4つの国旗がどのような国を示すのかを理解すれば、テキサスの歴史を大まかに理解することができます。

今回の投稿では、この6つの国旗が示すテキサスの歴史についてまとめてみました。出典は部分的には複数のソースを参照しましたが、ベースとなる各時代の説明や記載している年代は、オースティン市内にある素晴らしいテキサス州の歴史博物館 BULLOCK TEXAS STATE HISTORY MUSEUMの資料(後述)を参照しました。

実際には、国旗で追える歴史よりも以前には、複数の異なるアメリカ先住民達(ネイティブアメリカン)が長くこの土地で暮らしていました。テキサス州内の中学校では、Texas historyとしてテキサスの歴史を学ぶ授業が行われており、この授業では先住民の特徴への理解から歴史を学び始めます。また「州としての歴史」を必須科目として設定している事自体は、アメリカではあまり一般的ではなく、その点でも、テキサス州が州の歴史を重要視している事が分かります。

 

スペイン領テキサス時代 - Spain, 1519-1685 and 1690-1821 -

二つに分断された年代が示すうちの最初の時代は当初、現在のテキサス州の南部にあるごく限られたエリアに、スペインからの探検家や部隊がわずかに訪れているのみであったとか。大半のエリアについては一般的な領地というイメージではなかったとされています。

1685年からの非常にわずかな期間はフランス領となりますが、その後再びスペイン領となります。しかしながら、1810年頃のスペイン占領期においても、テキサスに住んでいたスペイン人はわずか5,000人ほどであり、そのほとんどが小規模な農家や牧場主でした。

この当時のスペインの国旗のデザインは、スペインの王室の紋章旗で構成されています。

サンアントニオにある1720年設立のミッションサンホセ(Mission San Jose)は、スペイン人のカトリック宣教師がアメリカ先住民にキリスト教を広める為に建設された

フランス領テキサス時代 - France, 1685-1690 -

テキサスの主要部に最初に定住をはじめたヨーロッパ人は、スペイン人ではなくフランス人でした。アメリカ内陸部の探検を経たフランス貴族のラ・サールは、ミシシッピ川河口にフランスの植民地を計画しますが、海賊・インディアンの抵抗・船の座礁等に見舞われて不運の連続。それでも1685年、現在のビクトリア(Victoria)付近に、セントルイス砦を建設したことで、テキサスはフランス領とみなされます。

しかしながら、ラ・サールは部下の反乱等でこの植民地を維持できず、わずか数年でフランスはテキサスから撤退をすることに。

旗のデザインは、ラ・サールが遠征中に持ち歩いていた、フランス王室の旗を簡略化したものです。

メキシコ領テキサス時代 - Mexico, 1821-1836 -

1821年のメキシコ独立革命によって、メキシコはスペインに対して勝利をおさめ、それまでスペイン領であったテキサスは、メキシコの一部となります。テキサスの南部はメキシコ中央部の独裁に反対する人々の独立運動がある一方で、北部・東部はネイティブアメリカンが多く、メキシコや拡大するアメリカを警戒。

この頃、1822年にテキサスの発展の為に、スティーブン・オースティンが、メキシコ政府を相手に米国からの300名の家族を合法的にテキサスへ移住させる交渉に成功します。「テキサスの父」と称される彼の名がオースティン市の名前の由来であり、ここからテキサスの発展がはじまります。

国旗は、メキシコは最初の共和党旗が採用され、宗教・独立・連合という「3つの保証」を表す緑・白・赤の縦縞で構成されています。

主にアメリカからの奴隷を含む移民で人口が増加するテキサスは、やがてメキシコ政府との対立が進みます。奴隷制や、増加し続ける入植者への対応や考え方の違いにより、テキサスはメキシコからの独立を目指すようになります。さらに1935年にメキシコ大統領のサンタ・アナがメキシコ・シティへの国家権力の集中を目指しはじめ、テキサスは政治的・経済的な自由を手に入れる為に、よりメキシコへの反発を強めます。

テキサス共和国時代 - Republic of Texas, 1836-1845 -

テキサス人は武力で都市を制圧し、1836年についに独立を宣言。しかし、宣言から四日後にはじまった「アラモの戦い」では、アラモ砦のテキサス人約200名を相手にメキシコ軍が勝利します。約200名が全滅したテキサス軍は復讐を誓い、1836年4月に現在のヒューストン付近で行われたサンジャシントの戦いでメキシコ軍を壊滅させて勝利。この時、サンタ・アナは捕虜としてテキサス軍にとらえられ、テキサスのメキシコからの独立を認めます。

歴史的戦いの舞台となった世界遺産 アラモ砦(サンアントニオ)

このように、1836年3月2日の独立宣言以降は、テキサス共和国として一つの国となります。わずかな期間中ではありますが、このテキサス共和国時代に、二度にわたって大統領を務めたのがサミュエル・ヒューストン、ヒューストン市の由来になった人物です。

わずか9年であったテキサス共和国には、実際には3種類のデザインが存在したとされますが、1839年に採用された三番目のデザインがこちらの「ローンスターフラッグ」とされています。

※1993年にデザインが再定義がされた際に、青・赤をアメリカ国旗の色と同一とすることが決定されたそうです

アメリカ連合国時代 - Confederate States of America, 1861-1865 -

アメリカ合衆国ではなかったこの時期は、アメリカ南北戦争の時期と符合します。

テキサス人の多くは、奴隷制度廃止を求める北部の政治家による干渉に反対しており、リンカーンが1860年に大統領に選出された事で、テキサスはアメリカの北軍から脱退して他の奴隷制国家と合流しました。

アメリカ南北戦争の末に1865年にアメリカに対して降伏し、テキサス州はアメリカ合衆国の連邦に再び承認されます。

アメリカ連合国時代の国旗の中にある白い星の数は、北軍から離脱した州の数を示しています。 

アメリカ合衆国時代 - United States of America, 1845-1861 and 1865 ~ -

1845年にアメリカ合衆国の議会は、テキサスの併合を承認します。短命に終わったテキサス共和国ですが、その当時のテキサス政府の巨額の借金を米国が併合と交換に肩代わりすることで合意が進んだとされています。

テキサス州は、アメリカ合衆国の28番目の州として、連合国に加盟しました。このように、南北戦争後に再びアメリカ合衆国の一つの州となり、現在に至ります。

 

このように、歴史を辿って見えてくるのは、州として非常に独立の精神が強く、その源には自由をもとめる精神、屈強なTexan(テキサス人)としてのプライド、広大な土地や豊富な資源があるのではないかと思います。今現在でも、アメリカ合衆国からの独立を求めるTexanも多く、これから先のテキサスの長い歴史を想像してみた場合、ひょっとすると、いつか新しい7枚目の国旗が増えるのかもしれません。

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